試験を受けるということ

入学試験でも就職試験でも資格試験でも何でもなんですが合格できれば喜び、不合格なら失望しますよね。

特に絶対合格したくて何日間も何年間も勉強や練習を重ねた場合は、

合格すればいいですが、不合格なら完全うつ状態ですよね。

 

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私の娘のエピソードで申し訳ありません、

娘はピアノ教室に通っているのですが、

先日、コンクール出場の審査を兼ねたピアノ発表会(審査会)に出演しました。

合格確率は30%程度のやや厳しめの審査であり、結果的に私の娘も含め多くの受験者が不合格となったのですが、同じ教室に通っている数人は合格しました。

娘は結果を聞いた時はしばらく落ち込んだのですが、翌日にはそんなことをすっかり忘れてしまったように遊んでいました。

 


ところが娘の友人の母親は、我が娘の不合格の知らせを聞いてからは、ピアノ教室への審査方法の問い合わせや抗議の電話、友人へ不満のメールを繰り返すなど親子とも落胆状態らしいです。

きっと合格に向けて親子二人三脚で毎日何時間何時間も苦しみに耐えてピアノの練習をしてきたのでしょう。

 


この違いは何なのでしょうか?

それは「練習が苦しかったか、そうでなかったか」の違いだと思います。

私たちは苦しんだ分だけ同等の成果が得られるだろうと解釈しますよね。

でもそれは勝手な解釈です。現実はそうなっていないことが多いです。

練習や訓練が合格のための正しい方向に向いてない事もありますし、

合否は実力以外にも、運や審査員にも大きく影響を受けます。

さらには正しい審査が行われていないような試験も山ほどあります。

 


ではどうするのがいいか?

試験合格に向けた練習や努力を否定するつもりは全くありません。

私は以下のようにとらえるのが良いと考えます。

 


1.楽しみながら練習や訓練ができるよう工夫する。

2.決して肉体的、精神的に無理しない。

3.試験の合否について他人と比較しない。(自分は自分、他人は他人)

4.不合格によって攻める人、マウントをとる人とは距離をあける

 

そもそも試験は、「自分のプラスになる」ために受けるのであって、

それで誰かを恨んだり、落ち込んだり、うつになったりするなら

我々の人生にとっては当然マイナス作用

受験する意味すら問いたくなります。

そんなことなら受験自体をやめてしまうべきだと私は思います。

試験など受けなくても幸せに生きる方法は山ほどあります。

 

性癖の克服

性の嗜好というものは本当にデリケートな問題だと思います。

私は男性ですが、もう何十年もの間、自分の性癖に悩み続けてきました。それは私自身の人生の第一課題というくらい、多くの時間を費やしてきました。でもやっと最近になって、自分の性癖について理解し、コントロールできるようになってきたので、多くの皆さんと共有しておきたいと思います。

 

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私は長い間、少女愛好癖」に悩み続けてきました。今の日本において、おおっぴらに公開できるものではないですね。それを知られればきっと多くの人から笑われ嫌われますね。長年、私の性の対象は5歳くらいから、上限ははっきりとしませんが、とにかく幼い少女に性的な魅力を感じて多くの年月を過ごしてきました。

 

自覚するようになったのは高校生くらいの時からだったと思います。思春期以降、私は勉強ノイローゼになり、うつ状態が大変ひどかったのですが、学校で会う女子高生よりも、通学途中に見る小学生の少女の方が魅力的だったのをよく覚えています。私は当時から、周りの友人との会話やメディア情報などにより、自分が異常性癖の持ち主だということをしっかりと自覚していました。でも月日を重ねるにつれていつか変わっていくだろうと、特に気に留めてはいませんでした。しかし、成人しても中年になってもこれが変わっていくことはありませんでした。

 

成人以降、私は多くの時間を悩むことに費やしました。自分は世間的に忌み嫌われる性癖の持ち主だ、普通の人が経験する「同年代の人に魅力を感じて結婚に至る」ということが自分には到底できないだろう、子供を授かることも諦めなければいけない、と毎日愕然としていました。成人した女性に魅力を感じようと様々な努力を繰り返し、また性的欲求がいまどこに向いているのか、日々疲れ果てるくらい確認していました。

 

中年になった最近、少しずつ性的欲求の変化する法則を見つけ出すことができました。

 

1.仕事や勉強などで焦りが強い時は、性欲が増し、異常性癖が強く出る

2.心が穏やかな時は、性欲が弱く、また性的嗜好も一般化する

 

つまり「性的欲求は不安と強く関連している」ということです。危機的状態に種を保護するための動物的な本能なのかもしれません。高校生の頃、うつ状態がひどかった頃、性癖が非常に強くなったことにも納得がいきます。

 

私が性癖を正常化させるために心掛けていることです。

 

1.仕事や勉強の時間や量を減らし、のんびりした時間を大切にする

2.人と競争しない、人からよく見られようとしてがんばらない

3.自分の性欲を受け入れる。世間と比較してあれこれ悩まない

4.禁酒禁煙、バランスの良い食事、適度な運動により健康を維持する

(特に3.が効果的)

 

最近、全くと言っていいほど少女愛好癖が出なくなりました。もちろん今は、性癖というものはそれが「行動に移されない限り、何であってもよい」ものであり、さらには「人と比較して優越を判断する問題ではない」と思っているので、これ自体あまり気に留めてすらないことですが・・・

 

日本の教育や昭和時代の親の教えというのは、戦争の影響もあってか、とにかく「世間一般的でなければならない」、「人より優れていなければならない」という意識が強いものです。子供たちはストレスにさらられて生きる結果となり、それがわずかな性癖の歪みを作り出し、またその歪みついて自ら深く悩み考え不安に陥ることで、さらなる性癖の異常を引き起こすという悪循環が起きるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

精神を消耗させられる人とのつき合い方

職場や学校には精神を消耗させられる人がいます。
上司、部下、同僚、先輩、後輩、同級生の関係はあまり関係ありません。

その人は・・・

・相手の弱みを見つけて指摘することで自分を高めようとします。

・相手を自分の思い通りに動かすことで、自分の力量を確認します。

・人の前で相手を罵倒して自分の強さを周りにアピールします。

その人はたいていの場合でプライドが高いのです。
「他人より優れていたい」という想いが強く、負けそうになるといつも不安になるのですね。つまりその人自身が精神的に余裕がないわけですね。それを少しでも和らげるために他人を利用しているに過ぎません。される側の不快感なんてお構いなしです。

それではなぜいつも私たちがターゲットになってしまうのか?
それは私たちが真面目でいい人だと知っているからです。多少攻撃されても紳士的に対応する、いつも我慢しやり返すことをしない、つまり逆に自分が不快な気分にさせられる心配がない確約が取れているからそうしてしまうのです。知らず知らずの間に心を許しているのですね。これは動物の本能的な反応だと思います。

 

 

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ここで私が職場で面倒な相手から距離を開けるのに役立った方法をご紹介します。
おかげで職場でのストレスが随分少なくなりました。

1.その人の前では必要な発言以外は控える(仕事に集中する)

2.対応や言葉遣いをなるべく丁寧にする(友達感を出さない)

3.プライベート付き合いはしない(多忙や金銭面を理由にお断り)

4.交流会などのイベントではなるべく距離をあけて座る

5.ペアリングでの業務が発生しないようできる限り調整する

つまりまず相手との物理的距離をあけ、さらに内なる自分を見せない、ベールに包まれた感じに持っていくわけです。この人のことはよく分からない、もしかしたら自分に反撃してくるかもしれない、と本能的に警戒させるのです。それでいて仕事はしっかりこなしているように見えるので文句がつけられません。

人数の少ない職場や部活動などの中で実行するのには無理があるかもしれませんが、
普段から多少なりとも無理なくこれらを取り入れていくことで、少しずつその人の反応が変わっていきます。

私たちは学校教育において、周りのすべて人に対して優しく接し、助け合って生活するよう教えられてきました。私も長年、それがあるべき姿だと信じてそのように行動してきました。しかし、不快にさせる相手にも寄り添って生きるのは大変な労力を消耗しました。相手も変わることなく、またその過程で自分の精神が崩壊してしまう場合もありました。

他人の欲望せいで自分の人生を台無しにしてはいけません。
自分のことは自分でしっかりと防衛し、精神満足度の高い人生を送りましょう。